不世出の音楽家・加藤和彦のドキュメンタリー映画が公開決定!

’60年代にザ・フォーク・クルセダーズでデビューを果たし、サディスティック・ミカ・バンドでの活動を経て、ソロ・アーティスト/作編曲家・プロデューサーとしても日本の音楽史に残る作品を多く生み出し続けた人物、加藤和彦。

 

このたび、彼の功績を辿るドキュメンタリー映画『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』が、2024年5月より公開されることとなった。

 

本作の企画/監督/プロデュースを務めたのは、『SUKITA 刻まれたアーティストたちの一瞬』(2018)や『音響ハウス Melody-Go-Round』(2020)などを手掛けた相原裕美。

ザ・フォーク・クルセダーズの結成秘話や、サディスティック・ミカ・バンドの海外公演/レコーディング風景、ソロ作品の中でも傑作と名高い”ヨーロッパ三部作”=『パパ・ヘミングウェイ』『うたかたのオペラ』『ベル・エキセントリック』にまつわる逸話など、貴重な映像&エピソードが目白押しとなっている。

 

 

音楽キャリアの出発点となった、ザ・フォーク・クルセダーズの代表曲

ここでは加藤和彦の初期作品である、ザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」「イムジン河」についてフォーカスしてみよう。

 

彼は龍谷大学在学中の1965年に、北山修、井村幹夫、芦田雅喜、平沼義男とともにフォーク・グループ:ザ・フォーク・クルセダーズを結成した。
約2年のアマチュア活動を経て、1967年にグループ解散を記念した自主制作盤『ハレンチ』を発表したところ、収録曲である「帰って来たヨッパライ」と「イムジン河」がヒット。ラジオで頻繁にオンエアされたのをきっかけに各レコード会社からのオファーが相次ぎ、1年間限定でプロデビューを果たした。この2曲は後に制作した「悲しくてやりきれない」(1968年)とともに現在も広く人気を博している。

 

『帰って来たヨッパライ』/ザ・フォーク・クルセダーズ(1967年)

キャピトル・レコードよりシングル・リリースされた、『ハレンチ』収録の代表曲。テープの早回しによるコミカルな歌声と、奇想天外なストーリー性を持った歌詞が特徴で、オリコンチャート史上初となるシングル部門のミリオンセラーを達成した。

 

『イムジン河』/ザ・フォーク・クルセダーズ(1968年)

「帰って来たヨッパライ」とともにデビュー後にシングルカットされた初期作。朝鮮の楽曲をもとに制作されたもので、一時は諸事情により発売中止となったが、34年の時を経てリリース。当時のオリコンチャートで最高14位を記録した。

なおグループの初期メンバーである平沼と芦田、それに本楽曲の作詞を行なった松山猛の3人によって結成されたミューテーション・ファクトリーによって、「イムジン河」は1969年にURCレコードから会員配布され、1971年には同社より市販用シングルが発売された。

 

『イムジン河』/ミューテーション・ファクトリー(1969年)

 

 

グループ解散後、加藤和彦はソロデビューを果たし、北山修との連名によるシングル「あの素晴らしい愛をもう一度」(1971年)や、先述の”ヨーロッパ三部作”などの名作を発表。

1971年にはサディスティック・ミカ・バンドを結成し、「タイムマシンにお願い」収録の『黒船』(1974年)は海外でも話題を呼んだ。なお、ザ・フォーク・クルセダーズとサディスティック・ミカ・バンドはともに数回再結成されており、2000年代以降にも新曲発表やコンサート開催が行なわれた。

 

作編曲家/プロデューサーとしては、吉田拓郎や泉谷しげる、竹内まりやなど数多くのアーティストを手掛けたほか、映画や歌舞伎、ゲーム作品への楽曲提供を行なうなど、そのキャリアは多岐にわたる。

 

映画『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』の公開に先駆けて、彼が携わった作品の数々をチェックしてみてはいかがだろうか。

 

 

『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』

 

2024年5月より TOHOシネマズシャンテほか全国順次公開

 

〈企画・構成・監督・プロデュース〉相原裕美
〈出演〉加藤和彦、きたやまおさむ、松山猛、朝妻一郎、新田和長、つのだ☆ひろ、高橋幸宏、小原礼、今井裕、高中正義、クリス・トーマス、泉谷しげる、坂崎幸之助、吉田拓郎、松任谷正隆、坂本龍一、コシノジュンコ ほか
(順不同、アーカイブ含む)
〈製作〉「トノバン」製作委員会
〈配給〉ナカチカピクチャーズ

 

公式サイト
https://tonoban-movie.jp/

 

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