ヘンリー・ドレナン作品の裏エピソード

本記事ではヘンリー・ドレナンご本人が語った、彼の代表曲の裏話をご紹介していこう。
貴重なエピソードの随所に、ドレナン氏のユーモアあふれる人柄も感じられるはずだ。

ヘンチョコリンなヘンテコリンな娘」(1965年

私は、縁があって作詞家の岩谷時子さんに英会話の個人教授を始めた。1965年のことだった。日比谷公園の近くの喫茶店でレッスンを毎週一回の約束であった。ある日、時子さんにWhat do you do? と、訊いたら、I write songs. と時子さんが答えた。私は、I also write songs.と、言うと、時子さんは、I want to hear your songs.

私は、次回のレッスンの時に、カセットテープに収めた歌を2曲入れて、時子さんに渡した。それから数週間後、時子さんが突然、「あの歌のレコーディングが決まった」と言われたので驚いたことを覚えている。

まもなく、クレージーキャッツの谷啓さんから電話が入り、「ヘンリーさんの歌は、フレージングが変わっているけど、それが楽しいので、歌のレッスンをしてほしい」と頼まれた。「ヘンチョコリンなヘンテコリンな娘」と、同時にレコーディングが決まっていた「小指ちゃん」(B面)の歌のレッスンが当時有楽町にあった渡辺音楽出版事務所で行われた。

クレージーキャッツの谷啓さんは、この歌をとても気に入ってくれて映画の中でも歌ってくれて、当時、大変な話題曲になった。

それから30年後あたりで、コメディアンの志村けんさんがテレビでおばあさん役のスキットで、「変な子だね〜!」というコメントと同時に、この歌を歌いました。

谷啓と志村けんの二人の偉大なコメディアンが愛してくれた歌なのです!

ちっちゃな胸の女の子」(1966年)

今では信じられないかも知れないが、この歌が私のミリオンセラーとなった「かわいそうな娘」の第二弾のシングルとして発売されたとき、CBSコロムビアさんは、歌の内容で放送禁止にならないだろうか。。。?と、真剣に心配をしたらしい。結果として、あまり売れなかったような気がするが、それでも、この歌が大好きだという大ファンが存在するのも事実である。

当時、ディレクターの人たちが団結して、この歌のスピンオフ版として、作られたのが、「問題はね、ハートだよ!」で、松平ケメ子がレコーディングした「ずん・ずん・ずん」のレコードのB面に挿入された。

ゴキブリマーチ(1968年)

ギコブリを目の敵にしている私が愛情(?)を持って書き上げた歌である。

人類はいつか滅びても、地球上にはゴキブリは生き残ると科学者も太鼓判を押していて、憎いほど強い生き物だが、それでもどこか憎めない面もあると思うのである。私個人としては、三番の歌詞の親子ゴキブリにバケツの水をぶっかけたら、仲良く流れて帰ってった。この歌詞が気に入っています。ゴキブリの赤ちゃんは、驚くほど、大人のゴキブリと同じ格好をしていて、大きさが違うだけなのです。東京の皇居でカルガモの親子が道路を渡るニュースが毎年のようにテレビで放映されるが、ゴキブリの親子も負けないほどの微笑ましい感じなのです。

※尚、この歌には完全な英語版の歌詞も存在します。タイトルも、「Gokiburi, Go Away! 」(JASRACでは、同じ作品番号で登録がされています。)

あの娘ちゃん」(1967年)

この歌は、LP『HENRY』(PS-10007-JC CBSコロムビア/1967年)の12曲の中の1曲である。私は、コンサートでは、会場の女性の方に声をかけて「あの娘ちゃん」の代わりに、女性の名前に代えて歌ったのです。

例えば、よしこちゃんなら、「よしこちゃんがこっちを向いて、ウインクしたら、僕のハートはドキドキ、思わず片目をつぶっちゃう。。。」

これは、受けましたね!コンサート向きの歌だと確信が持てます!

お湯だよ小唄

一度もレコーディングされてない未発表の歌ですが、私の中で唯一のお風呂の歌です。歌詞が三番までしかないので、録音が決まったら、せめて四番まで歌詞を増やす必要があるように思います。

でも、私個人的には「どうせ死ぬなら、お湯の中!」この歌詞が大好きですね!

日本全国でお風呂と温泉地で歌われたら、嬉しいですね!